広告は嫌われている。

広告は見られない。

間違いない、と私も思う。

それでも、共感される広告をクリエイトしてみたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日、

すべてが流されてしまった。人間の無力さと、弱さを誰もが感じていた。

悲しいかな、そんなときに本当に必要なものが見えるのかもしれない。

私には見えた。本当に人間にとって大切なものが。

名古屋での暮らしが30年ほどになる。

街も、人も、形あるものいつかは無くなってしまう。

しかし、人の想いや、思い出は、どうか無くなってほしくない。

広告というか、言葉とは、そもそもカタチ無きものに形を与える素晴らしい機能が備わっている。

それは、言葉の本質的な機能である、「誰かに頭のなかの考えを伝える」という機能と相まって、

新しい発見や、忘れ去ってはならない大切な物事、辛く恐ろしい出来事などを後世に伝承することができる人類の叡智だと断言したい。

「口コミ」とは、70日で消えてしまう噂話やデマカセだけではない。

口伝律法によって、語り継がれなくてはならない歴史の温度というものが、きっとある。

そんな奇跡のようなキャッチコピーを、いつか作ってみたい。

 

 

 

 

 

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